AIにプロレスラー内藤哲也について紹介を書かせてみてツッコんでみた

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皆さんは、AIのライティングツールをご存じでしょうか?

CatcyというAIに文章を書かせるツールが、一時的に無料キャンペーンで全機能解放されていましたので、全く使い方も良く分からない中、試しに使用してみました。

今回はCatcyの中の生成ツールの機能の一つの、「記事の本文」を使用して作成しました。

ちょっとしたネタ投稿と思い読んでもらい、ついでに選手紹介してみますのでお付き合いください。

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実際の作成画面

画面はこんな感じ

下に例文を入力するとの事で、記事のタイトルと導入文を入力してくださいと記載されています。

とりあえず、プロレスについて書きたいので、新日本プロレスの内藤哲也選手の紹介文を書いてもらいましょう。

例文を入力する必要が、あるらしいので指示に従って、記事のタイトルと導入文を入力します。

こんな風に、とりあえず書いてみました。

次に記事の見出しを入力す必要があるようなので、ざっくり自分で書いてみたい内容を記載してみました。

最後に、文章の雰囲気を選ぶところがあり、「丁寧」「カジュアル」「大胆」の3種類から選ぶことが出来ます。

まずはカジュアルで作成してみます。

それではー、作成をポチッとな。

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実際にAIにより作成された驚愕の文章

以下がAIにより作成されたそのままの文章になります(間違っている内容が含まれていますのでお気を付けください)

プロレスラー 内藤哲也の紹介

プロレスラーの内藤哲也さんをご存知でしょうか?新日本プロレスの人気ユニット、ロス・インゴス・ベルナブレス・デ・ハポンのトップレスラーの一人です。今でこそ多くの歓声を浴びる人気選手ですが、過去には何をやってもブーイングされることもある不遇の時代もありました。そんな内藤哲也選手が新日本プロレスのトップ選手になるまでを紹介したいと思いますので、お付き合いください。

1.デビュー当時の内藤哲也

内藤哲也は2002年にプロレスリング・ノアの新人としてプロキャリアをスタートさせました。初戦はベテラン佐野拓真に敗れたが、これがプロレス界への第一歩となった。すぐにベテラン選手と対戦し、プロレスリング・ノアの中でさらに評価を高め、2006年に新日本プロレスへ移籍した。

2.海外遠征から帰国した内藤哲也選手

2007年、ロス・インゴス・ベルナブレス・デ・ハポンに2カ月間の海外遠征を敢行した内藤。帰国後、新日本プロレスの選手層に変化を与える経験を積んだ。特に内藤はこの経験を生かし、より自信に満ちたカリスマ的なレスラーに成長した。内藤の人気と成功は、秋山準や永田裕志などの隠しカメラマッチに勝つことによって、観客の間でさらに強固なものになった。

3.不遇の時代の内藤哲也

内藤の不遇の時代は、新日本プロレスに復帰した直後の2011年に始まった。デビュー当時から知名度のあった内藤だが、その評価は一変した。試合の結果に関係なくブーイングを浴びせられ、上位進出を阻まれることが多くなったのだ。この時期、内藤はファンやスタッフから大きな批判を浴びることになる。

4.内藤哲也、メキシコから帰国

2013年、内藤は不遇の時期から大復活を遂げた。彼はメキシコで3週間のトレーニングを行い、復帰前にさらに技術を磨いた。復帰後は、全く新しい姿勢とプロレススタイルで迎えられ、すぐにファンやスタッフから尊敬を集めるようになった。

5.内藤哲也の現在

現在、内藤は新日本プロレスとロス・インゴス・ベルナブレス・デ・ハポンに欠かせない存在となっている。彼は絶賛されるレスラーで、数々の賞や名誉を受けています。また、ファンの間でも強い支持を得ており、しばしば主要なイベントのヘッドライナーを務めています。

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AI文章への前提突っ込み

なるほど、もしプロレスを全く知らない人が読んだら、気にせずに信じてしまいそうな文章力です。

AI恐るべしです。

が、しかし!!突っ込みどころが満載だということに、お気付きだろうか?

一つ一つツッコんでいってみよう。

まず大前提として。

ロスインゴがロスインゴスに変わっている

これは致命的なミスでしょ。私が書いた例文にはスは付いていません。何故スを付けたのか謎です。

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1.デビュー当時の内藤哲也へのツッコみ

2002年にノアでデビューしたことになっています。

いやいや、なんでやねん。正解は2006年ですし新日本プロレスに入門しています。それもデビュー戦の選手は佐野選手では無く、宇和野選手と戦っています。

そして何故か2006年に新日本に移籍しています。

すでに先行き不安です。

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2.海外遠征から帰国した内藤哲也選手

2007年、ロス・インゴス・ベルナブレス・デ・ハポンに2カ月間の海外遠征???

どういうこと?ロスインゴは国では無いですね。それも2か月だけ遠征とは、何の成長も無いでしょう!

実際は2009年に、高橋裕二郎選手とNOLIMITというユニットで、アメリカとメキシコに海外遠征に出ております。約10か月の遠征の間でメキシコのCMLLでトップレスラーの一人にまで上り詰めています。

そして、なにより秋山準や永田裕志などの隠しカメラマッチ

隠しカメラマッチとは一体どのような試合でしょうか?検索してみましたが、残念ながら出てきませんでした。

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3.不遇の時代の内藤哲也へのツッコみ

ここの部分が一番、内藤選手を語るには大事なことろですが、内容が薄いです。しかし、批判を浴びる等の記載があるのは悪くないですね。

内容的には2011年から不遇の時代が始まったことになっていますが、実際は2012年から始まったと考えられます。

2012年に膝を痛めてしまい、2013年の上半期まであまり満足のいく結果を出すことが出来ませんでした。その後2013年下半期ではG1で優勝して東京ドームメインで、オカダカズチカの持つIWGPヘビーベルトに挑戦するはずでした。

しかしながら、直前に前代未聞の内藤VSオカダのIWGPヘビー戦と、中邑VS棚橋のIWGPインターコンチがどちらがメインに見たいかというファン投票が行われた結果、まさかのメインイベントから脱落した上に、試合でも敗退をしてしまいます。

ここから歯車狂ったのか、当時の内藤選手は、ベビーフェイスで明るいキャラクターでしたが2015年の前半までメインを張って活躍してもブーイングをファンから浴びるという不遇の時代を過ごすことになりました。

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4.内藤哲也、メキシコから帰国へのツッコみ

ここの内容は悪くないですね。

年は2013年となっていますが実際は2015年に1か月半程、メキシコに再度遠征を行います

そこでメキシコのヒールユニットの本家ロス・インゴベルナブレスに加入します。

そして帰国後、キャラクターがガラッと変わって、黒を基調としたコスチュームに、入場時に中々入ってこないという太々しいキャラクターになりました。

その後、日本版ロス・インゴベルナブレス、ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン(L・I・J)を立ち上げて、新日本プロレスの中のヒールユニットのリーダー格として大暴れすることとなります。

その後の活躍は目覚ましいものがあり、IWGPヘビーもオカダカズチカを破り戴冠することも出来ましたし、内藤自身もL・I・Jのユニットも大人気となり、新日本プロレスの名実ともにトップレスラーに駆け上がっていきます。

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5.内藤哲也の現在へのツッコみ

ここは間違ってないですね。内容は薄いですが、問題は無いでしょう。

実際もトップレスラーとして君臨していますし、人気では新日本プロレスではNo1と言っても過言ではないでしょう。

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6と7は書いてくれてない

これからとまとめは残念ながら、記載はされませんでした。

これは最大1000文字の壁が関係しているようです。

5の項目までで、962文字使用しているので。記載されなかったようです。

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AIの文章のまとめ

という訳で、AIに内藤哲也選手を紹介してもらいましたが、結果は満足とまではいかなかったです。

文章力としては、確かに人間が書いた文章に近いですが実際の詳細の情報とかまでは、しっかり記載されることは難しそうです。

これは想定ですが、ネット内に転がっている情報を集めてきて、生成されているので少し似たような記載等があると、そこを引っ張ってきてしまうのでしょう。

それでも、隠しカメラマッチが出てきたのは意味不明ですが(笑)

ただ、文章力には可能性を非常に感じることが出来たので、使い方に寄っては非常に使えるツールだと思います。

宜しければ、無料でお試しも可能ですので、catchy使用してみては如何でしょうか?

因みに、この情報を教えてくれたのが、フォロワーのぼっくりさんのツイートでした。

ぼっくりさんは、終わりのない「僕ぼっくりのブログ収益化の手法と脳内。」という有料な優良記事を書かれている方で、私も実際に記事は購入させて頂きました。

今もなお最新情報に更新されている記事なので、ブログで収益を上げたいと考えている方は良ければ購入してみては如何でしょうか?

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